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サウジアラビア ⑯バハレーン小旅行 [中東の記]

ある年の正月に1泊2日で隣国バハレーンにコーズウエイ経由遊びに行った。
コーズウエイができたお蔭でバハレーンまで車で1時間程度で行けるようになったが、出国するためにはスポンサーの許可と出国ビザを取得せねばならず精々半年に一度出国できれば上出来であり、不自由さはなんら変わらなかった。それでも禁欲の国サウジアラビアからバハレーンに出ればビールとトンカツにありつけると思えば心はいつも大きく弾んだものだった。

この数ヶ月前にバハレーンで会議があり1泊の予定で出張した。会議が終われば久々のビールを満喫できると楽しみにしていたところ、会議終了間際にサウジで留守番をしている妻から電話があった。インターに通っている娘が学校のシャワー室で床が濡れていたため滑って転び後頭部をしたたか打って病院に運ばれたという。
楽しみにしていたビールも泡と消えて急遽サウジに舞い戻ったことがあっただけにこの時のバハレーン小旅行はことに楽しみであった。

コーズウエイ.jpg
(コーズウエイ)

バハレンのモスク.jpg
   (バハレーンのモスク)

ホテルのバーでバハレーン空軍のパイロットだという青年二人連れと知り合いになり雑談を始めた。そのうちの一人が近々結婚することになったというので「おめでとう!」と言うと、実は親同士が決めた話でまだ肝心の花嫁とは会ったことも無いんだ・・・とまだまだ結婚しなくてもいいんだがとのニュアンスが強く感じられた。バハレーンのようなアラブの中でも先進的な社会でもこの状況だから戒律厳しいサウジでの男女交際などいつになったら自由になるのだろうか。

バハレーンは小さな島国で石油も少し取れたがそれも今は殆ど枯渇し、非石油産業で国を興している、特に金融業に力を入れていた。

バハレンの最初の油田.jpg
 (バハレーン最初の油井戸)

バハレーンは古代より海洋貿易が盛んで「エデンの園があった場所」の候補にも挙げられるほど古い歴史を持っている。紀元前3000年から紀元前1000年頃までに造られたと言われる古墳(小さな円墳)が多数広がっている場所がある。残念ながら墓碑銘もなにもなく、ただ単に丸い土饅頭が無数に並んでいるような感じだった。

因みにサウジでも王族も庶民も身分の高低に関係なく亡くなれば平等に扱われる。即ち、予め定められた墓地に亡くなった順番に埋葬され墓碑銘も何も置かれない。従って長い年月が過ぎると最早誰がどこに埋葬されたのか全く区別がつかなくなる。イラクではちゃんとお墓があったがこれがサウジのイスラム教ワッハーブ派のしきたりのようだ。これも又さっぱりしてていいかもしれない。

バハレンの円墳群.jpg
 (バハレーンの円墳群)

バハレンの円墳群-1.jpg

又、さえぎるものの無い土漠の真只中に一本だけ大きな木が立っており、地元の人はこれを「命の木」と呼んでいた。文字通りたった一本の木だった。

バハレンの命の木-1.jpg
  (バハレーンの命の木)
バハレンの命の木-2.jpg
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