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サウジアラビア ⑫戦争が終わった [中東の記]

1991年2月27日湾岸戦争は終わった。翌28日ジェダからダハラン空港へのフライト再開第一便で戻った。ジェダでの退屈な日々から早く事務所に戻り一日も早く正常業務に復帰したかった。

ダハラン空港について空を見上げると太陽の姿はなく一面黒い煙で覆われていた。イラク軍がクウエイトから敗走する際に油田を尽く破壊し燃やしていったので、クウエイト中の油田が炎上し黒い煙がアラビア湾一帯を覆っていた。

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この年の11月にようやく最後の油田炎上が止まるまでの約10ヶ月間、サウジ東部地区は一日とて晴れた空はなかった、煤や油の臭いのしない日はなかった。特に当初の2-3ヶ月は煙が目に沁みて痛くなるし、油の臭いが至る所に染み付いているようで肺の中まで真っ黒になったり癌になるのではないかという恐れもした。

早速利にさとい某日本商社駐在員が小型の空気清浄機を日本から取り寄せ在留邦人に売り歩いていた。瞬く間に売り切れた。ワンルーム用のコンパクトタイプの次は事務所用の大型タイプの拡販も始めた。

アラビア湾で採れる魚で最もポピュラーな魚はハムールという名の白身の魚だったが、この魚も油くさくなり、又、腹の部分に黒い斑点が見られるようになったので誰も食さないようになった。

コンパウンドに戻ると以前にもまして米英軍関係者の姿が増えていた。戦争関連の話やスカッドミサイルの話も多かった。米軍宿舎にスカッドミサイルが直撃して多くの犠牲者を出したが、この時宿舎の周辺にはスカッドミサイルを迎撃するためのパトリオットが3基設置されていたものの、1基は故障中、1基はメンテナンス中で残り1基で対応したが命中しなかったとの話だった。頼りない話である。

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「砂漠の盾作戦」から「砂漠の嵐作戦」と続いた湾岸戦争は終わったが、多国籍軍はバグダッドまで攻め込むことなくサダムフセインは引き続き政権の座に居座った。この中途半端な終わり方が後のイラク戦争へと繋がっていった。

サウジアラビアに再び戦争前の生活が戻ったがそれは決して同じ日々ではなかった。

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タグ:油田炎上
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