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サウジアラビア ⑱うすけぼー [中東の記]

或る日コンパウンドの外人仲間で持ちきりの話があった。夫に合流すべく初めてサウジにやって来た妻が空港税関で自分のかばんから堂々とウイスキー3本出して、この国も3本までは無税よね、と念を押したそうな。税官吏はあまりの堂々とした米国人女性の態度に一瞬唖然としたがやおら気を取り直し黙って3本共没収した由。その時までアルコールがダメな国があるなんて思いもしなかったとこの米国人女性もめげてはいなかった。

我が家の命の水製造は秘密保持の観点から家族(子供)にも内緒のプロジェクトだった。一旦仕込むと一日一回は様子を見ながらやさしくかき回してやる必要があった。いつも夜遅い時間に大きな「おたま」を持って秘密の場所に行くのが日課だった。

お玉.JPG

ある日娘が学校の作文で書いた内容を見せられた。そこには、うちのお父さんは毎晩大きなおたまを持ってどこかに行きます、「おたま怪人」です、と書いてあった。娘が寝室に行ってから行動していた積もりだったがしっかり見られていたようだ。

夏期の気温が高い時期は発酵も急速に進むので時に度数も高いドライワインとなり、冬場はゆっくりと発酵がすすむので上手くいったときはスパークリングワインとなった。しかし発酵に失敗すれば単なる砂糖一杯のあまいぶどうジュースにしかならなかった。

この国の王族は勿論、一定のレベル以上の有力者の邸宅には溢れるほどの酒類があり一説では世界最大の酒類密輸入国とも言われていた。在留期間が長くなれば何となくその世界の裏事情も分かってくるものだが、通称「三河屋さん」と呼ばれていた人がいた。

屋号に象徴されるように、この方は命の水について文字通り特殊なルートを持っていた。どうしても必要な時には、じゃあ三河屋さんに聞いてみようというのが合言葉になったが大体30-40%程度の確率で入手できた。その手腕には驚きを通り越して尊敬の念すら抱いたものだ。

因みにイスラム諸国でもオフィシャルに酒を禁止しているのはホメイニ革命後のイランやサウジとリビア位のものでその他の国は厳しさの程度に差はあれそれなりに入手できていた。ヨルダン、エジプトやUAEは勿論のことイラクに至っては国産ビールが3種類はあった。バハレーンではトンカツもあった。そういえばバグダッドに住んでいた時、一度闇で豚肉が入ると聞いていそいそと買いに行った。高価な割には硬くてあまりうまくは無かったがあれは野生のイノシシの肉ではなかったかと今では思っている。

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