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八百伴 [上海雑記]

1997年に倒産したヤオハンは90年前後から香港を拠点にアジアに積極的に進出し、上海にも中国第一百貨店との合弁で「中国第一八百伴百貨店」を設立した。そして95年にアジア最大規模の百貨店を上海浦東地区に華々しくオープンした。百貨店の壁面には「八百伴」と大きな文字が誇らしげにあった。現地の読み方は「パーパイパン」なので上海市内どこでもタクシーに乗って「パーパイパン」と言えば連れて行ってくれた。

パーパイパンの各出入り口には屈強な守衛が何人もいて来客の監視と整理に当たっていた。
当時の上海ではまだ珍しい外資の大型百貨店であり、エスカレータも備え、空調も万全、更には当時の中国には珍しい日本式の接客サービスも評判を呼び開店以来大変な賑わいが続いていた。

しかし誰でも入れたわけではない。屈強な守衛が目を光らせ、服装の乱れた者、裸足やサンダル履きの者の入店を拒んでいた。要は購買客と単なる物見遊山客や空調目当ての涼み客とを峻別していたのだ。入り口では入店を拒否された者との間で時々諍いが発生していたが、それでもいつも押すな押すなの大盛況だった。

上海浦東に大型店舗を開業して僅か2年後の倒産だった。創業者W一族の代表は会社の拠点のみならず、自己の居住場所も香港、次に上海に移すなどして、正に今でいうところのグローバリゼイションの申し子のような展開を見せていただけに、その破綻報道には誰しも驚いた。時代に遅れては勿論日の目を見ないが、早すぎてもダメ、半歩先が丁度いいとも言うが、時代に先駆けること少々先を行き過ぎ、又、急拡大をし過ぎたのかもしれない。
グッド タイミングは難しい。誰も過去には戻れない。
南京東路.jpg
(上海 90年代南京東路の夜の賑わい)

改革開放から30年有余にして世界第二の経済大国になった。この市場を捕まえようと世界各国から押すな押すなの企業進出、大賑わい、国の入り口で守衛が、誰が上客で誰が貧乏なのかと勝手な自己基準で区別し、法治国家ではなく人治国家だと皮肉を言われても一向に気にせず、ひたすら上昇気流に乗って来られた。

勢い余って周辺界隈を巡回し始め、昔からここらは我が一族が往来していた地域だから我がテリトリーだ、我らの核心的利益だと主張し始めた、実際に力ずくで縄張りを引いてしまった場所も出てきた。他方、チャイナドリームが世界屈指の大富豪を生み出す一方で、内陸部農村と大都市富裕層の格差も許容限界を超えつつある。

そのような時に一族の世代交代。一族の権勢が大きくなればなるほど各派に分かれたグループを統制することは難しく自然に骨肉の争いと化してゆく。 敵の敵を味方とし、敵の味方をいち早く排除する、そこには統治に関する普遍のルールはなく自己に都合の良いパワーポリテイックスがあるのみ。

ああ、悪い夢を連想してしまった、こけなければよいが・・・・・・・・・

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