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すきま風ひゅうひゅう [上海雑記]

中国の住宅バブルもかなりはじけてきたようだがつい最近まで日本を凌ぐ億ションや豪壮な戸建住居、別荘が林立し即日完売してきたことは記憶に新しい。だがつい20年近く前までは全く異なる環境だった。

先日も触れたが1996年春に上海で最初に入居できたのは1LDKで家賃45万円だった。木造二階建ての4戸一の構造だった。建物の真ん中に入り口と階段があり、一階、二階に左右一部屋ずつの構造だった。日本のアパートでも良く見かける構造だ。各部屋にはバス・トイレの他にエアコンも一応付いていた。

このエアコンは勿論中国製で電力消費の割にはあまり効かなかった。大きな音は立てるが夏場の冷風はあまり期待できず、特に冬場の暖房には困った。室外機が設置されているがサーモスタットに水が使われていたので外気温が氷点下に下がると氷となり暖房が止まってしまう。寒ければ寒いほど暖房を必要とするが、外気が氷点下になれば効かなくなるという無茶苦茶なエアコンだった。室外機が止まるたびに管理事務所に電話し氷を溶かしてもらわねばならなかった。

私の住居についていた空調設備は多分エアコンなど使ったことのない人が設計し、ユーザーの視点など全く考慮されずに生産されたに違いない。

当時の中国は国策として上海(揚子江)を境にして北部は暖房(石炭)、南部は冷房設備を常設することが一般的であり、上海はその中間地帯としてどちらでもなく、冷え冷えとした冬の上海をしのぐことは結構大変なことだった。

その時から2年ほど遡ったある冬の日に事業会社を設立すべく候補地の鎮政府の書記(日本で言えば村長または町長)とのアポイントを取り訪問した。約束の時間に役所に出向き応接間に通され待っていると書記が外套を着て姿を現した。外出の格好をして姿を現したので、これはいったいどいうことだ、私とのアポイントをキャンセルするのかと思ったが、これは実は私の早合点だった。

当時の上海は、役所も企業も快適な暖房設備などは皆無で、寒さを凌ぐために事務所内でも外套を着たまま業務を行うことが一般的だったのだ。しかも結構隙間風がひゅうひゅうと入ってきて寒かった。この鎮政府の応接間でもお茶が出た。テーブルの上に空の湯飲みが置いてあり中には茶葉が入っている。そこに給仕がやってきて馬鹿でかいポットから熱湯を注ぐ。湯飲みにふたをする。頃合を見計らい蓋を少しずらして茶葉が口に入らないようすする。これが結構難しい。茶葉が1枚2枚口に入ってきてもあわてず騒がず静かに噛み締め飲み込んでしまう。大概は白湯に近いようなお茶だが部屋全体が冷え切っているのでホット心も休まる。

私の住居でも、隙間風がひゅうひゅうと入ってくるということは隙間が多いということであり、蚊やハエの侵入がひどかった。更に随分後になって分かったことだが、蚊やハエの侵入は建物の隙間以外にエアコン室外機からのダクトを経由することが一番の問題だった。新聞紙を丸めて毎日毎晩蚊と格闘することが重要な日課となり、白い壁はいつの間にか叩き潰された蚊で黒ずんでいった。今日は何匹やっつけたと次第に戦果を誇るような気分になるのも不思議なものだった。

s-7 Cleaning.jpg
             (下町のドライクリーニング店)
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