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ゴルフ今昔 [上海雑記]

今年の日本女子オープン選手権で中国のフォン・シャンシャンが初日から首位を独走し完全Vを遂げた。6月の全米プロも制しており正に破竹の勢いだ。23才だから1995年当時は6才だったことになる。当時の上海には近郊の青浦に1ヶ所だけゴルフ場があった。そのゴルフ場でプレーしていたのは専ら日本人、韓国人、台湾人、香港人が中心で中国人は殆ど姿を見なかった。ビジターのプレー費が800元だったが当社の工員の初任給が500元だったことを思えば中国人にとっては文字通り縁の無いスポーツだったと言える。

フォンシャンシャン.jpg
   (日本女子オープン優勝のフォン・シャンシャン)

上海一帯は揚子江河口のデルタで山が無くどこまでも平地が広がっている。従ってゴルフ場を造成するときはコースの左右の地面をまず掘り起こしフェアウエイを造成することになるので、必然的に掘り起こされた部分は水路や池となる。上海近辺のゴルフ場は至る所にウオーターハザードがある!ボールを1ダース持参して全部なくす人も少なからずいた。

1995年からの5年間程度の間に中国にもゴルフブームが起こり経済成長と共に上海周辺にも瞬く間に台湾系、日系、香港系等資本による10ヵ所以上のゴルフ場がオープンした。夫々に特徴があった。日本では絶対ありえないようなコースが浦東にできた。フェアウエイを横切るようにコースの端から端まで人間の背丈以上の高さの石垣が築かれ、キャリーで越さない限り通過できなかった。人はその障害を万里の長城と呼んでいた。

又、そのゴルフ場には頂上を白い小石で固めた富士山と呼ばれる小山をフェアウエイに築いたコースもあった。山の上にボールが駆け上がると大層難儀をさせられた。色々と工夫をして客を呼ぼうとの努力だろうがあまりにも奇異すぎてあきれるばかりだった。

次々とオープンする新設ゴルフ場のキャデイの質も悪かった。一番あきれたのはグリーンに乗ったボールをマークする際にボールの前にマークされたことだった。池の周囲には子供が待ち構えており池ポチャをやるとすぐさま池に飛び込んでボール探しをしていた。子供達にとっては結構な稼ぎになっていた。

嘉定区にできた日系のゴルフ場のコース途中の茶店には冬場にはおでんと熱燗がおいてありこれが何よりの楽しみだった。

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当たり屋に遭遇したのもゴルフからの帰りだった。青浦ゴルフ場からの帰途、赤信号で車が止まりかけた寸前に横をふらふらと走っていた自転車がよろよろと車に倒れこんできた。
運転手はすぐに停車した。自転車は車に接触して倒れた。自転車に乗っていたのは60才前後の中国人だったが倒れたまま「痛い、痛い」と叫んで起き上がろうとしない。

運転手は私に向かって、総経理が残っていると厄介なことになるのでタクシーで先に帰ってくれと言う。車が外車(アウデイ)で外国人が乗っていると金になるのでこのような当たり屋が時々発生するのだと言う。

翌日会社で運転手に聞いたところ、やはり小遣い銭要求でどこにも怪我をしておらず追い返そうとしたが後に尾を引いても厄介なので小遣い銭を渡して立ち去らせたとのことだった。金になるなら何でもやってみようとの精神には恐れ入る。

爾来20年足らずして中国の選手が全米プロや日本女子オープンを制覇するようになるとは正に隔世の感がある。スポーツに限らず経済も政治も科学も総て、盛者必衰の理を表しているのかもしれない。

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