SSブログ
中国の記 ブログトップ

上海の記 その⑨ 公安セールス [中国の記]

上海-14.jpg
公安という文字ははどこか秘密めいた響きを持った言葉だが中国では至るところで目に付く、警察全般を表すのでパトカーにも交通整理警官にも事件事故処理にも24時間公安という2文字が踊る。

ある日突然公安の制服を着た2名の訪問あり、何事かと身構えていると、従業員数は?その中で外省人は?(上海戸籍の無いものは外国人同様に在留許可、就業許可が必要)という質問から始まり、金庫はどこ?どのように安全管理を図ってる?等々ぎょっとするような質問あり、ひょっとして公安姿の強盗かと一瞬ぎょっとした。

よくよく聞いていくと実は休日や夜間の警備保障契約への勧誘であった。金庫室から公安へのホットラインを引いておけば24時間金庫の安全確保に協力してくれるとのこと、まるで官製セコムのセールスではないか、まあ安全が買えて公安にも気持ちよくお帰り頂ければ結構なことと契約に同意した。

これで終わらないのがセールスマン、この地域一帯は外資企業が多いので治安維持の為に地域の民間団体が自警団を組んで夜間パトロールを行っている、自警団は民間なので国からの補助は無く必要経費は民間企業の協賛金で賄っている、ついては是非協賛金にご協力願えないか、領収書は公安が出します、と立て板に水の説明で手回しよく領収書まで提示された。有無を言わさぬようなにこやか顔の公安セールスに年間2,500元(1元=約15円)の協賛金も一種の税金だと了解し協力させて頂いた。
上海-11.jpg
数ヵ月後公安セールスも自警団もすっかり忘れた頃、当社の銅スクラップを狙ったこそ泥がなんとこの自警団により捕まった。ひょっとして自警団の話は公安の小遣い稼ぎかもと思っていたが実は真面目な話であった!ところでこのコソ泥君捕らえてみれば我が社の社員であったが地元出身の利もあり一晩留置されただけで放免された。翌日何事も無かったごとく出勤し、この会社はいい会社だから引き続き勤めたいと言う。言うだけタダではあるがこれには腹立ちも通り過ぎてあんぐり・・・勿論永遠にお引取り願ったこと言うまでも無い。
上海-09.jpg
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

上海の記 その⑧ ババ抜き [中国の記]

企業で社員の評価を行う際の基準はどうなっているのか、営業部員であれば日本でも中国でも営業成績や、売上貢献度等が尺度になること間違いないが、管理部門例えば支払い窓口の経理担当者の評価はどうなるのか?ここらが日本と中国では決定的に違った!
上海-13.jpg
仕入先への支払いを契約条件通りきっちり行うことが企業の信用を維持する上でも極めて重要というのが日本企業の一般的な考え方だが、中国の場合は何だかんだと理由をつけて如何に支払いを遅らせるかが社内で高評価を得る大きなポイントとなっている(社外より社内の評価優先)

仮に資金が不足した場合、日本の場合は親族やグループ企業等身内に近いところには無理を言って待ってもらうことが多いが、中国の場合はまず身内から順に支払い縁が遠い先ほど支払いは後回しとなる。A社が資金不足でB社への支払いを遅らせ、B社はその不足分相当をC社への支払いを遅らせる、C社はD社への支払いを遅らせる、かくして不良債権はぐるぐる廻る、称して「三角債」と言う。

赴任して1年くらいの頃どうにも支払いの悪い客先があり痺れを切らして裁判所に駆け込み銀行口座や在庫を押さえる手続きを取りに行ったが時既に遅し、口座に残高無く、工場の在庫や機械設備も消えていた!その後も不良債権は何度も発生したが、この時の教訓もあり、5年間で5回裁判に訴えて4勝1敗であった。ババを掴まされないタイミングと手段はいくつかあるがちょっと生臭くなるので詳細は別の機会に・・・・!?
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

上海の記 その⑦ 実利第一 [中国の記]

工場では福利厚生の一環として食堂を用意しコックを雇い従業員に昼食を提供する。勿論コストは会社負担で従業員の負担はゼロ、中国人は冷たい食事は取らないのでいつも暖かいご飯とほかほかのおかずを提供。コックに一人1食いくらのコストでと指示するとコックは必ず材料をけちって差額を自分の懐にいれようとするので、必然的にまずい食事につながり従業員からクレームが出る、そうなるとコックを入れ替えて若干改善するが又同じことの繰り返しになるケースが多い。総務担当者が材料の領収書等しっかり取って管理はするが領収書なんてどこからでも自由に入手できるお国柄なので表面的な管理はあまり意味が無い。

コックも幹部にはゴマをすろうと幹部食堂のメニューは別で何か魂胆がありそうな時期は何故か一週間の間にすっぽん料理が何度も出てきて面食らったこともあった(勿論昼食)

残業の条件として2時間残業の場合は夕食を提供するが1時間の場合は提供しない。そうるすと定時で帰るか2時間残業するかどちらかの選択肢となってしまう。会社にはシャワー設備も整っている。従業員の多くは家では朝食のみ取って後は昼食、夕食ともに会社食堂、帰りはシャワーを浴びて(自宅にシャワーなし)帰るという人も結構多かった。国営企業では住居も企業提供だから彼らにしてみれば至極当たり前という感覚なのだろう。
上海-10.jpg
ある年の春節(旧正月)時にボーナスに加えて春節休みに家族で遊びにいけるように近在の遊園地入場券を配ろうとしたところ、一斉に声が上がり、そんなものは不要、現金をよこせと言われ、じゃあ何もなしだとやり返したこともあった。拝金主義とまでは言わないにしても個人的実利第一主義には間違いない。





タグ:残業
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

上海の記 その⑥ 敏感商品 [中国の記]

上海-15.jpg
国家が経済を統制し成長率をコントロールする場合人為的な制限や意図的管理が行われることがままある。最近でも日本からの農産物は全品検査という建前があるにも拘らず、ある団体を通せばフリーパスになるなどというまことしやかな話に政治家まで乗っかって大きなスキャンダルになったりした。

政府が統制する輸出入品目でも特に重要なものは「敏感商品」として取り扱われる。特定地域を核心的利益と称するのと同じ感覚だ。例えば鉄鋼品目は敏感商品になっており国内需給を見ながら輸出入をコントロールしている。進出している家電メーカーに納入する鉄鋼製品の材料の多くは日本からの輸入に頼っているが、ある日突然輸入枠が制限されたり輸入通関に要する手続きが煩雑化長期化することがある。
上海-08.jpg
ここでも登場するのが「上に政策あれば下に対策あり」だ。ある日突然輸入枠が取れない会社にブローカーが接触してくる。政府系列の地方の公団が輸入枠を持っているが余剰があるので譲っても良いがどうかと。そこで商談が成立すれば輸入者たる公団から名義変更がなされ忽ちの内に輸入枠問題が解消することとなる。勿論、企業にとってはコストアップするが客先への納入を切らさないためにはやむを得ないと腹を括るしかない。政府系公団も実需の裏付けなしに最初から転売目的で輸入枠を取ってるとしか思えない事が多かった。

輸入枠が取れても実際の輸入時に苦労するのが税関対策。税関役人は極めて厳正な職務態度を執っており些かの収賄的物品や金銭を受け取ることも無い。それでも人の子、お役人の家族なり親族なりからいい評判が伝われば自ずと手続きが迅速化されたり都合の良いように解釈してもらえることもある。この迂回対策を上手にやれるかどうかで時に勝負が決することもあるのだ。どうやって評判を勝ち得るかそれはノウハウ・・・・・?

タグ:輸入枠
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

上海の記 その⑤ 献血騒動 [中国の記]

日本でも慢性的な血液不足対策として日赤等が恒常的に献血運動を行っているが94-95年頃の上海でも中国赤十字の音頭で献血運動が展開された。日本と違うのは上から献血者の割り当てがあったこと。上海市から各行政区、そして末端の鎮政府(村)にまで例外なく各企業に献血人数の割り当てが通知された。

当社にも2名の割り当てがあった。献血する人に対しては鎮政府、赤十字からの手当金に加え企業からも給与の半月分以上の手当て及び5日間の有給休暇を与えることが義務付けられた。諸手当を合計すると工員1ヶ月分の給与相当に加え丸々1週間の特別休暇がもらえるとなると希望者殺到するに違いないと思い込み申し込み日を設定した。
上海-12.jpg
献血希望者が何人になったのか想像を膨らませながら総務課長に聞いたところ「希望者ゼロ」とのこと。意外な結果に驚き、社内の血色の良い若手に献血はどうかと水を向けたが全員がNOと言う。こんな好条件なのに何故?と聞くと全員の回答は「エイズが怖い、注射器もきっと繰り返し使っているに違いない、地方のある村では何十人もエイズで死んだそうだ・・・」と言う。 それでも政府から割り当ての人数をこなせないのはまずいなと総務課長に相談したところ、任せてくれ、上に政策あれば下に対策あり、外部からアルバイトを雇いましょう、ということでその時は何とか事なきを得た。

ところが数日後鎮政府から呼び出しあり、社員から献血者を出さないのはどういうわけだとお叱りを受けた。
法外の報酬に目の眩んだアルバイトが二匹目のドジョウを狙って他社にも代行献血を売り込んだが、献血場に立ち会っていた鎮政府の役人に同一人が複数社を代表しているとばれてしまったようだ。

尚、中国への1年以上の駐在員ビザの申請書類には「非エイズ証明書」の添付が義務付けられている。身に覚えが無くてもエイズ検査を受けるのは何だかいやなものですが・・・



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

上海の記 その④ 寮の活用 [中国の記]

工員は工場周辺の農家の息子だが事務所勤務者は地元のみならず上海から会社が用意したバスで通勤する者が多かった。総合職や管理職で自宅が遠い者や上海以外の出身者用に敷地内に寮を建設した。上海に自宅があり1時間程度で通勤できるのに月~金は寮生活し週末のみ自宅に帰る者がいたので何故だと聞いた。

中国では上海に限らず夫婦共稼ぎが圧倒的に多い為に誰が夕食を準備するかということが一大事となる。上海では圧倒的に妻の力が強く夕食は原則夫がつくるという家庭が多いという。この社員の家庭も例外ではなく夕食は夫である自分の役目だが自分は料理が下手でいつも妻からまずいと文句が出る。そこで新しく勤務する外資企業はとても忙しく残業も多いので週中は帰れないと妻に断り料理から開放されて喜んでいるのだと。色々事情はあるものです・・・(残業なんて殆ど無いのに)
上海-07.jpg
工場が本格操業始めてしばらく経った頃所在地の労働組合の上部組織の人間がやってきて当社でも早く組合を作れと督促してきた。共産国家の中国だしやむなしかと思いつつせめて穏便な組合を作ってもらおうかと工場長や総務課長等現地幹部に相談したところ、「組合は不要、自分達に益なし、会社と自分達が負担する組合費は地区共産党に一部上納され、しかも上部組織の許可が無ければ自由に使えないので組合を作っても意味が無い」とけんもほろろの回答だった。市場主義が発達してくると次第に国民の意識も変化するようです。
タグ:恐妻家
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

上海の記 その③ 賃金相場 [中国の記]

共産主義を止めたロシアの貧富の格差は大きいと言われるが、今でも共産党だけが国家を支配する中国の貧富の格差はもっと大きいのではあるまいか、それは改革開放の初期から既に明らかであった。94年に上海近郊に工場建設を始めたがコスト削減の為に日系ではなく地場の建設会社に発注した。或る日関係者に現場作業員の賃金レベルを聞いたところ、作業員の殆ど総てが地方からの出稼ぎ労務者(農村出身者)で日当5元(当時のレートで1元=15円)だが食事+飯場代金で3元引かれて手取り2元が相場とのこと。勿論雨が降れば作業は無く収入は無い。それでも出身地で農業をやるよりはいい現金収入になるとのこと。
上海-06.jpg
他方当社の初任給は中卒400元、高卒500元、短大卒1,200元、大学卒1,500元でスタートした。工員の殆どは周辺農家の一人息子で皆定時に帰宅する。中国でも華南地区の出稼ぎ労働者は出来るだけ残業を多くやって稼ぎたいとの風潮があるがここ上海では真逆。上海という大都市近郊農家は相当裕福というか賢く稼いでいることが分かった。大都市近郊の利点を生かし米よりもすぐに現金収入となる野菜栽培を中心とし、又大きな一戸建て農家(見栄張りが多い)は一人っ子政策の影響もあり空き部屋があるので地方からの出稼ぎ者に間貸しを行い、自身は外資企業に就職して月給を得る、という3重の収入があるのだ。野菜を誰が作るのかと言えば家族で手不足の場合は地方からの農村出身者を活用している。正に地主と小作人。

因みにカラオケもできるスナックに行けば同席するホステスに支払うチップは200元が一般的であった。
上海-05.jpg
現代中国社会の様相は更に複雑化していると思うがどの一面を切り取って評価(比較)するかで全く異なる結論が導き出されることは間違いない。いずれも真実の姿ではあるが。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

上海の記 その② 2免3減 [中国の記]

ところで上海は今でこそ中国最大の商業都市として繁栄を遂げているが数百年前までは小さな漁村であった。中国では長江(揚子江)のことを龍になぞらえ上海はその龍の頭の部分に相当するということで「龍頭上海」とも言う。上海の上という文字は「すごろくの上がり」と同じで「・・・に至る」と言う意味があるので長江が海に至るところ、即ち上海という地名になったとの説がある。

90年代初頭には上海にも改革開放のうねり、文字通り龍頭が動き出したかのような勢いが出てきた。長江の河口付近で合流する黄浦江という支流があるがこの東側が今や国際空港や上海万博跡地のある「浦東」地域で旧市街のある方は「浦西」と呼ばれているが、当時の浦東はテレビ塔以外目立ったビルは無く市当局は経済特区として大々的に売り出しを始め建設ラッシュも起きていた。
上海-01.jpg
国家の認めた経済特区では「2免3減」という特典があった。事業開始から2年は法人税免除、その後の3年は50%免除というインセンテイブだが、地方政府も勝手に同じ特典をPRして外資企業招致競争を繰り広げていた。浦東地区は国家第1級の経済特区だけに大資本が中心になって進出していった。日本からは当時の松下電器やシャープ、米国からはGMが有名であった。しかし50年間の借地権が1平方メートル当たり100ドル以上する浦東地区に進出できるのはやはり大資本に限られ、多くの企業は1/3 1/4以下の土地を郊外に求めた。
上海-04.jpg
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

上海の記 その① [中国の記]

1980年前後に首都北京から遠く離れた華南の地4ヶ所に改革開放の実験都市がおかれ、全くの農村地帯だったこれらの実験都市が徐々に発展を遂げていった。この実験都市が不首尾に終わっても政治の中枢都市北京には影響を及ぼさないようにとの配慮ではるか遠隔地に設置されたのであろうが、やがて沿海部の大都市にまで改革開放が広げられていった。
上海.jpg
1989年の天安門事件で一旦外資の勢いが落ちたが数年後には復活し90年代初頭には大きなうねりとなって沿海部大都市に外資が進出し始めていた頃、私の所属していた部門でも既に華南地区では同僚が事業化調査を終えて会社設立準備にかかっていた。傍目にもまだまだ中国は色々不足しているので大変だなあと他人事のように見ていたところ或る日突然上司から指示が出た、華南は一応目安が立ったので次は華東だ、上海地区での事業化を調査せよとのこと。

最初に中国に進出していったのは繊維業界が多く次に家電業界が続いていったが、いずれも原材料を持ち込み(現地会社は輸入)加工し輸出するという形態が多く販売先としての中国国内市場はまだ対象ではなかった。
進出企業にとって一番大きな問題は原材料輸入に必要な外貨を如何に獲得するかであった。従い上海のような大都市で為替市場も大きいところに立地することが重要だった。
上海-03.jpg
次に大事なのは電力の問題、中国は今でもそうだが当時は日常的に停電が発生、それも事前通知なしに突然停電することも多く企業泣かせであった。やむを得ず自家発電を検討しようにも電力セキュリテイの観点から当局が許可しないケースが殆どであった。 (続く)
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感
中国の記 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。